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tabi_photo1.jpg …飛行中の機内より…


~準備1~

そもそも、私達が『世界をめぐる旅をしよう』と決意したのはいつだったのだろう?
私が思うには、二人の意志が統一されたのは、一緒に暮らして3年目頃だったと思う。

実のところ哲郎氏は、子供の頃から『世界中の人と友達になりたい』という夢を持っていたらしい。 日本の専門学校をやめて19歳からオーストラリアで3年を過ごし、英語という武器も手に入れていた。それでも日本に帰国後は、海外旅行するということもなく、自分の知っているオーストラリアの話を幾度となくして、寝言の様に「インドに行ってみたいなー」と呟いていた。そんな哲郎氏を見ながら、私はだんだんと旅を現実にするための覚悟を決めていったような気がする。何しろ彼をそのまま放っておけば、「私と結婚したから旅にも行けなかったし冒険も諦めた」となりそうな気がしたから。
自分の旦那さんがそんな小さな男じゃつまらない!!というわけで、先に本気になったのは私だった。

それからしばらくは、できる事といえばお金を貯める事。
本当はこの時期にもっと世界中の歴史や宗教や文化、見たい場所なんかを勉強しておけば良かったのだろうけど、直前にならないと何もできないぐーたら夫婦。それはやっぱり直前にならないとできず、結果としては行った先々で翌日の事を調べるという形になってしまった。

こうしてお金だけはコツコツ貯めながら結婚して3年経った夏、出発のきっかけは本当にひょんな事だった。
不動産屋から、「マンションの耐震構造に問題があるので立ち退いてほしい」という通知が来たのだ。私たちの中では翌夏の更新が出発の時だと思っていたのだが、半年前の3月には完全撤収との事。一度は引越しも考えたが、手間を考えるとこれをチャンスと思って出発を早める事に決定。今思えばあれは本当に良いタイミングだった。もしあの通知がなかったら、本当に出発を決意できたかは定かじゃなかったから。

そんなこんなで、見えない何かに押されるかのように出発時期が決まり、旅の準備が現実味を帯びて来た12月。第一の、と言うより出発前唯一の関門、両親に旅の計画を打ち明ける。もちろん私の両親は唖然呆然。そりゃそうだろう。遅ればせながらやっと結婚した娘が、そろそろ落ち着いて子供でも産むんじゃないかと待っていた矢先、今度はどこだか知らない海外へ旅に出るという。私達もがっかりさせ怒らせてしまう事はわかっていたので、長い事言い出すタイミングに頭を悩ませていたのだ。
とはいえ、両親も30年以上育てた娘の事、反対したところで仕方ないのは百も承知。「協力はしないけれど、どうぞご自由に」というスタンスでどうにか落ち着いてくれた。哲郎氏の両親にしても想いは同じだったと思うが、嫌な顔も見せず「旅行保険だけは入りなさい」と保険代まで援助してくれ送り出してくれた。私達の両親の寛大さと辛抱強さには、本当に感謝しなければと思っている。
  

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