~北京での出会い~
一泊二日の承徳旅行を経て、モンゴル行きまで北京であと3日。その間にも記憶に残る人々との出会いがあった。
まずは目的もなく北京の街をぶらぶらしていて出会った中国人青年。彼は翌月には大学を卒業し、北京での就職が決まっているという前途有望な若者で、円明園へ行く道を私達に訪ねてきたのがそもそものきっかけ。
英語は片言だが物怖じすることなく、円明園に一緒に行こうと誘ってくれた。スマホのガイドを読んでは苦労しながら英語に訳して説明し、あちこちで写真をとっては私達にも写れという。あどけない顔とキラキラした目が印象的で、とても素直で純粋な中国人の若者だった。
本来ならそのまま夕飯でも一緒に食べたかったのだが、その日の夜に限って京劇鑑賞の予約をしてあり、夕方には別れなければならなかった。彼にもその事を伝えておいたつもりだったが、うまく伝わっていなかったのか別れ際は慌ただしく、彼の方も「え、もう行くの??」という感じになっており、残念な別れになってしまった。
ちなみにその後観た京劇だが、人によってはただうるさいだけなどと好き嫌いが分かれるようだが、私達は予想以上に楽しめた。
もちろんセリフは全て中国語なので、事前に日本語で演目の内容や京劇での共通ルールを予習しておいた。例えば顔が赤色だと忠実で勇敢な人、逆に白色だと陰険で悪賢い人など、メイクや衣装によって大体の役柄がわかるようになっているのだ。
独特な楽器による音楽に合わさって、高音、低音を使い分けたセリフと間。少ないセットで全てを表現するそのステージは、まさに芸術。この京劇鑑賞で、実はまだ見た事がない歌舞伎も一度見てみたいと感じた。
あとは同じホテルに宿泊していた老夫婦と一人旅の女子大生との出会い。こちらは三人とも日本人。
この老夫婦の旦那さんが中国好きで、毎年何週間かは中国に来ているという中国通で、地球の歩き方を読破しているとか。
毎回テーマを持って旅を計画されているそうで、「敦煌まで列車で行く!」なんて時には奥さんは日本でお留守番。今回はもう何十回も来ている北京なので、今まではタクシーを使っていたがバスに挑戦するとの事だった。
阪神淡路の震災に遭い、仮設住宅に入ったのを機に、家は無くても楽しく暮らす選択をしたとの事。半年はハワイ、半年日本でたまに中国。という暮らしをなさっているそうで、その思い切りの良さと決断力、行動力でまさに人生を謳歌しているから素晴らしい。
もう一人の女子大生は中国語を専攻している、こちらも中国好き。学校のお休みの度に中国一人旅に出ているとの事で、私達にとっては旅の先輩である。
四合院の中庭でビールと羊の串などつまみながら、住みたい場所ややりたい事を見つけるには、まず自分から進んでいく事。夢を実現するには努力する事。時間がかかっても望み続ける事。なんて話を大先輩から伺いながら、久々の日本語での飲み会を楽しんだのだった。
そしてその翌日。。。
うっかり気を許して飲みすぎたのと、食べなれない羊肉の食べ過ぎ、疲れなども重なってか、私は熱と下痢に襲われダウン。
そもそも北京についてから喉が痛かったり、体調がすぐれない日が多かったのだが、今思えばあの灰色の空と黄砂が混じりざらついた空気。北京市内では中国人ですらマスクをしている人が多い中、私達は毎日、無防備に一日中外を歩き回ったりしていたのだ。そしてもちろん日本を出て久々の飲み過ぎ。そりゃ、体調も崩すだろう。
一緒に飲んだ先輩方も心配して、中国では見た事がないような美味しいパンを差し入れてくださり、そのおかげもあってか二日後にはどうにか回復。予定通りモンゴル行きの飛行機に乗れたので良かったけれど、一時は移動は無理じゃないかと思う程辛かったので、ちょっぴり苦い思い出となった。