~ホワイトレイクツアー3日目~
さて、ツアー3日目の朝。
夜中はやけに冷え込んだな~と思って外を見てみると、そこらじゅう薄っすらと雪が積もっている。そして昨日は半分水で半分氷だった湖は、まさに「White Lake」の名の通り、奥半分真っ白になっている!その幻想的な景色に、まだ粉雪の舞う寒さも忘れ魅了される。
とりあえず朝食を済ませ、荷物をまとめて近場を散策していたが、この日はいつまで経ってもエギーが呼びに来ない。そしてしばらくすると、どうやら今夜はここに連泊なので、1日自由に過ごして良いらしいとメンバーから伝言が来る。またドイツ人トーマスが「大きな穴があってそこに氷が張っている。とっても綺麗だから見てくるといいよ!」と教えてくれる。彼は朝、別のグループにくっついていってそれを発見したらしい。
さてこれを聞いて素直にその道を行かないのがシンガポールの若者3人組。彼らは「それならば近くに他にも人が見つけていない洞窟があるかもしれないから探しに行こう!」となり、なぜか私達も一緒に探検開始。
こっちの方はどうだろう。。。とか、だいたいトーマスが見た洞窟はどの辺なんだ?とか、不確かな情報しか無いまま、とにかく湖周辺の道無き道を歩き出す。足元の悪いがれ場や、低木の生える茂み。険しい道では無いが周りの風景があまり変わら無いので、何だか同じ場所を周回しているような変な不安に駆られたり。
すぐ見つかるだろうと歩き出したのにあまりに見つからないので、周りの少し小高い丘に登ってみれば見えるかもしれないとか、2人と3人に分かれて別の方向に行ってみようとか、本当に探検気分である。
そのうち本当に一人ずつバラバラになって動き始め、さすがに迷子になりそうな不安に駆られ、私達は険しい道を諦め足場の良い方へ移動。するとよくツーリストが訪れる場所で目にする石積みを発見。これはもしやと辿っていくと、見事トーマスの言っていた洞窟を発見!
溶岩のガレ場に大きな穴が2つあって、一つは空洞。もう一つには水と氷。それはなんとも不思議な洞窟で、想像していたよりも大きくてとても深く、なぜこんなに大きなものが見つからなかったのかと疑問である。しかもその近くのちゃんとした道沿いには、小さいながら「Ice Cave」という看板が立っていたことも後から判明。
こうして私達の半日がかりの大冒険は、本人達にとってはかなりの達成感と共に、実は簡単なルートがあったという笑い話になった。
この帰り道。今度は湖とは反対の山に登ってみると、そこもまたカルデラのような窪地があり、さらにその先の山を登るとそこからはとても綺麗で雄大なホワイトレイクの姿を眺めることができた。こうして山越え谷越え、私達の探検は終了した。
モンゴルではよくあることだが、この日のように朝は雪に白く覆われていた大地や湖も、日が高くなるとあっという間に姿を変え初夏のような景色。日中は真っ青な空の下を歩き回ると汗をかくほどになる。
私達のような短期の旅行者ならば、不思議な気候だな~と感心したりそれを楽しむこともできるが、この土地に住む人々は、この気候に合わせた生活をしなければならない。
特に都市ではなく、草原で生きる遊牧民達の知恵や工夫は、大変なものであろう。
例えばこのモンゴルツアーで昼や夜にご馳走になった現地の食事にも、その生活の一片が垣間見られる。
ツアーはじめにハンバーグとご飯とポテトと。。。という昼食を紹介して以来、ここまでモンゴルの食べ物について書かなかったのは、どこでもほとんど同じものが出ていたからである。
それはジャガイモと人参と干し肉(たぶん羊)を短いパスタと炒め焼きそばのようにしたもの、もしくはスープに入れてラーメンのようにしたもの、もしくはご飯と炒めてチャーハンのようにしたもの。そこに薄いミルクティーが添えられる。それらはすべて塩のみの味付けで、ミルクティーすら塩が入っている。
これが何を意味するかは説明するまでもないと思うが、この厳しい環境で育つ野菜も少なく、ごく稀に町への買い出しで少々の野菜を入手したとて、保存できなければならない。移動して回る遊牧民にとって、保存のきく必要最低限の食料がそれらなのであろう。
そしてしょっぱいミルクティーというのも、飲み水すら手に入れられない地域では、ヤギや羊など家畜の乳に塩を入れて飲む事で、人間にとって最も大切な水分と塩分を摂取する事になるのだ。
始めにこのミルクティーを飲んだ時は、正直びっくりしたしとても美味しいとは思えなかったが、これも生活の知恵だと理解し、貴重な食材を旅行者の自分達に分けてくれていると思えば、大変ありがたいものである。
とは言え実際には、普段食べなれない羊やヤギの肉や乳は、食後毎回私のお腹をゴロゴロさせたのは事実である。
またインド生まれでニュージーランドに移住しているアシシも、元はヒンズー教の戒律により生まれながらの菜食主義である。移住して長いが肉類は今も食べ慣れないようで、ツアー中頑張ってみんなと同じものを食べる努力をしていたが、体調は芳しくなく体には大分負担だったと、ツアーが終わってから聞いたのは気の毒だった。