~アグラからデリー、向かうはダラムサラ~
アグラの後目指すはとうとうデリー。
デリーへは観光ではなく、チベット亡命政府やチベット難民が暮らすダラムサラを目指すための中継点。
北部の都市に恐怖を抱く私たちは、タイ旅行中に教えてもらった、チベタン地区(マジュヌカティラ)という場所を目指していく事にする。
アグラの駅でデリーまでの切符を買う事に成功!
second class 62ルピー!?(当時130円くらい)
これってめちゃくちゃ安いけど、どういう車両??
だんだん不安になってくるが、とにかく何度も駅員さんに確かめ、それらしき列車に乗車。
乗り込んでみて、なるほどと納得。
つまり座席の指定もない、普通車両という名のカオス。
座席も通路も荷物用の網棚も人が満載。。。笑
奇跡的に空いていた荷物棚に私の荷物は収納され、私は連結部分のスペースで哲郎氏のバックパックと知らないおじさんに寄り添って、どうにか居場所確保。
車内にいるインド人たちを見ていると、日本の通勤ラッシュみたいに押し合って、どうにか自分のスペース確保!みたいな戦闘体制ではなく、網棚にも人がいるし、通路の床にも人がびっしり座っている中で、トイレに行きたい人がいれば通してあげるし、私みたいなよそ者の荷物の心配もしてくれる。
で、たくましい事にそのぎゅうぎゅうの状況で、ピーナッツやスナック菓子の小袋を棒につけて頭上にかかげて売り捌く物売りもいる!
(この光景、写真に残っていないのが残念!)
乗車して30分くらいで次の駅に着いたのだが、到着寸前、列車の速度が落ちると、ワラワラと開けっ放しのドアから飛び降りていく者が続出。
一度駅員が見回りに来た際は、物売りはさっと商品を隠し、何人かはトイレにこもっていたから、無賃乗車やルール上違反の事などがあるのだろう。
でも、一部始終を見ているこちらは、あっぱれインド人!と思ってしまう。
気付けば哲郎氏は途中で移動して、開いているドア部分に、これまた知らないおじさんと外見ながら窮屈そうに座っている。
そして私の隣の知らないおじさんは、私が降りるまでずっと、私が押し潰されないよう私と哲郎氏のバックパックのスペースを守りながら寄り添ってくれていた。
今では、大変だったけれど何だかほっこりする良い体験だったと思える。
そして到着したデリーの駅前で、勇気を持って街を探索する事もなく(笑)チベタン地区へ運んでくれるリキシャーを探し、大都市ならではのスラム地区を横目に、とにかくチベタン地区でラサハウスというホステルに入る。
この地区、本当に客引きはいないし、自分と同じような顔の人達がいて、「ここは中国?」と錯覚する感じ。
飲食店に入れば、餃子と焼売のあいのこのような物(モモ)やヌードルスープ(トゥクパ)もあり、ヌードルに飢えていた哲郎氏は大喜び!!
この居心地の良さに負けて連泊〜
二日間で鋭気を養って、インド北部山岳地帯のダラムサラへ向かうツーリストバスに乗り込んだのだった。
…チベタン地区からちょっと出ると、インドデリーの町外れの景色…