~ダラムサラ、マクロードガンジ~
デリーのチベタン地区で二日間、インドにいながらにして安らぎの時間を過ごした私たちは、北部の町ダラムサラへ向かうため、夜行のツーリストバスに乗り込んだ。
客引きがまとわりついて来ることも、ショップで値段交渉する事もなく過ごした二日間で、うっかり気が緩んだ私は、ツーリストバスが寄ったレストランで、ちょこっと生野菜がのった皿を受け取り、まんまと追加のお金をとられた上に腹痛に見舞われる。。。
あーやっぱりここはインドなのだと実感。そして自分の気の緩みを反省。
そんなこんなで腹痛に耐えながら到着したダラムサラ。
正確にはダラムサラの町よりさらに山の上の地区、マクロードガンジという場所に到着。
ここは1959年にラサを追われたチベット人のために提供され、チベット亡命政府が発足し、数万のチベット難民が移り住んでいる地区である。
そもそもここに来た目的は、10/1からダライ・ラマ14世によるティーチングがあるという情報を信じて、ティーチングとは何なのかもよく分からないまま、とりあえず1週間ほど前乗りしたのである。
ダライ・ラマ14世といえば、インド、ダラムサラでチベット亡命政府の国家元首であり、チベット仏教の指導者として世界各国でも公演を行なっている人。
つまり世界中で超有名な、偉いお坊さん!
世界の社会情勢も、宗教も政治もあまり興味がない私でも、ブラッドピットが主演の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』は観ていたし、チベット自治区での中国に対する抗議デモや僧侶の焼身自殺もよく耳にした。
また先に訪れたモンゴルでもチベット仏教が広く信仰されていたので、日本にいた頃より、私の中の情報は増えていた。
そんな折、そのトップの人に会えるかもしれないというわけで、当時の不確かな情報を元に遥々やってきたのである。
さて、ツーリストバスを降りると、みなさん行くあてがあるのか、自然とどこかしらに姿を消していき、トイレに篭っていた私を待つ哲郎氏はポツンとしていた。。。
『あれ、宿の客引きとかもっといないのかしら??』と拍子抜けするくらい。
いつもの事ながら、宿のあても、方向感覚やこの町の規模もわからぬまま、とりあえず町の中心地と思われる方向に進んでみると、一人、二人と宿の紹介をしてくるのでついて行く。
この町はヒマラヤの見える北東側の斜面に、小さな宿が沢山あり、景色が良い場所は値段も高く、見晴らしが悪いととても安く泊まれるようだった。
(バックパッカー的な値段でなければ、もっと違う場所にちゃんとしたホテルがあったはず。)
2軒見た結果、景色の良い広い部屋に決まり、ホッと一息。
(この長期滞在した宿の写真が、これしか無かったとは、、、)
景色など考えなければもっと安い部屋はあるようだったが、長期滞在予定という事で交渉して300ルピー(当時650円くらい)となり、インド南部の街を回ってきた私たちにとっては、これまでにないお得感。
インドの中でも、北部と南部では大分価格が違う事に気づいた場面でもあった。
この日から3日間のティーチングを目指して、結果的には約2週間を過ごすことになるこの町。
最初の印象は、チベタン地区であると同時に、インド人ではない外国人ツーリストが多い町だなーという印象。
これはティーチングがあるから人が集まっていたのか、平常時でもそうなのか分からないけれど、小さいながらも色々な食文化のお店があったり英語のメニューがあった事を思うと、常にインド人以外のツーリストも多い場所のようだった。
山の中のとっても辺鄙なところなのにね〜笑