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tabi_photo8_2.jpg …南京の街角でメジロ屋さん発見!…


~南京~

北京に向かうまでに経由した南京。ここではまず老街から南京まで初めて乗った硬座という、一番安い車両での出来事が思い出される。

硬座とは以前日本でも主流だったボックス席。それでも座席は決まっていて、私達の席には(後から聞いたところによると)80歳だというおばあちゃんと、他所から働きに出てきたようなおじさんが先にいた。大荷物を座席に置いて座っていたおばあちゃんは、荷物もどけず少し嫌な感じかと思ったら、後から哲郎氏が辛いカップ麺を食べて大汗をかくのを見て大笑い。「私は辛いの嫌だよ~。心臓に悪いもの!」みたいな事を言っていて和やかになった。中国語で言っていたのであくまでも予想だけれど。。。
座席の荷物も、おばあちゃんが小さくて荷物棚に上げられなかっただけ。切符を見せて番号を確認した時に嫌な顔をしたように見えたのは、字が読めずわからないという事だったようだ。切符を見せておじさんに降りる駅を何度も確認しているのを見て納得。お孫さんにでも会いに来たのか、一人で勇気を出して列車に乗ったのだろうと思うと、ほっこり。

また、隣の席の家族はずーっとひまわりの種を食べながらトランプ。とにかく白熱していて何時間も続けているようだった。だが途中で車掌さんが来ると、床がひまわりの殻で散らかりすぎていて、全員立たされ箒で掃除。これには周りの乗客も思わず失笑。車掌がいなくなると再びトランプもひまわりの種も再開したが、辛うじてゴミは袋に入れようと努力していた様子。徐々に散らかっていたけれど。


そして南京。
日本と中国にとっては難しい問題を持つこの土地は、今回は観光というよりただの経由地。虐殺記念館なるものがあるのは知っていたが、さすがに気が進まず、YHの周辺夫子廟と中山陵周辺で1日ずつ過ごして、二日目の夜行に乗るだけとなった。その切符も駅まで行かず、YHの隣のホテルに代理店のような所があり、そこで購入。駅から遠い場合はこんな方法もあることを学んだ。

この南京のYHでは何人か忘れられない旅人仲間に出会った。一人は台湾人の女性で、彼女も中国を縦断する旅の途中だと言っていた。私達が覚えておいた方が良い中国語を教えてくれたり、中国人の南部と北部の気質の違いや言葉の違い、台湾との違いなど役立つ情報を教えてくれた。代理店で切符を買える事を教えてくれたのも彼女。そして南京では日本人の印象はすこぶる悪いので、とにかく気をつけるようにと心配してくれた。

もう一人は哲郎氏とベッドが隣だった英語が話せる中国人の青年。最近まで証券会社で働いていたが退職し、英語の勉強のためにイギリスへの留学が決まっているというエリート。そんな彼にふと「日本人にとっては一泊50元は安いよね?」と尋ねられた。
自分達の中では、なるべく節約して安い宿、安い食べ物を見つけて貧乏旅行をしていると思っていた。旅に出る前の日本での収入は多い方では無かったし、金持ちと呼ばれるレベルでは決してない。でも実際のところ、夫婦揃って仕事もせずに2年も旅をしようと思うこと自体が、他国の人から見たら金持ちとしか思えないだろう。特に中国の一般庶民としては、たとえ証券会社で働くエリートでさえ、収入や生活レベルは日本とは違うのだ。

この青年のふとしたつぶやきから、色々な事を考えさせられた。始めは何だかその青年に申し訳ないような気持ちになったし、この瞬間働いている人達に対し後ろめたい思いがした。だが哲郎氏と話し合い、気持ちを切り替える事にした。私達はとても恵まれた環境に生まれた事、今回の旅をするチャンスを得られた事に感謝し、自分達で決めた以上は最大限楽しんで良い経験にしようと改めて心に誓ったのだった。

もう一つ南京で出会ったものが、涼麺(リャンメン)。これは日本の冷やし中華の原型ではないかと思われるが、茹でて水を切った中華麺に千切りのキュウリと酢と香辛料の効いた醤油ベースのたれ。好みで唐辛子の粉、山椒などをさらに加えて、サッと混ぜて食べる軽食で、暑い時期になると屋台で売られているらしい。南京で初めて食べた時から哲郎氏はお気に入りで、見かければ買うようになり、あげくは見当たらないと探してまわるようになってしまった。帰国後の今でも時々「涼麺食べたいな」と呟くほどである。
  

tabi_photo8.jpg …哲郎氏の大好物となった涼麺(奥)涼皮(手前)…


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